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  • 婚活妊活ビンボーは怖くない。その16

    2014年1月24日 ,

    *子供の病気やけがは親を成長させる

     

    子供の病気やけがほど親をハラハラさせ心配させるものはありません。

    以前、次女が赤ちゃんの時下痢が止まらなかったことがあります。

     

    内科にかかっているのにもかかわらず10日間も下痢が止まらず、

    丸々と太っていた次女がやせて眼も落ち込んできてしまいました。

     

    育児書を読みますと

    「下痢・・・続くと死に至る」と書いてあります。

    その文字が目にちらついて離れなくなりました。

     

    次女を負ぶって買い物に出たとき、近所の豆腐屋さんに寄りました。

    やはり赤ちゃんを負ぶいながら、

    がっちりとたくましい腕で豆腐を大きな水槽の水から出しているおかみさんに

    つい愚痴をこぼしたところ

     

    「親はそうして成長するんだよねえ」と一言。

    4人子供を育てているというおかみさんの言葉が心に沁みました。

    そして、下痢が2日ほど出なくなった夜、次女とお風呂に入っているとき

     

    「ううーん゛(`ヘ´#)」と力んだかと思うと

    ぽっかり黄金色の見事なうんちがぽっかりお風呂に浮いてきました。

    その時私は汚いなどと露ほども感じず、ほれぼれと眺めていました。

     

    「これで助かった!」という歓喜の面持ちでした。

    その後の騒動は想像におまかせします。

    写真:まん丸次女を抱っこ

    その頃、横綱大鵬の赤ちゃんが、

    お母さんがベランダへ洗濯物を干しに行った数分の間に突然死するという事件がありました。

     

    天下の横綱の事件です。マスコミは大騒ぎでした。

    まだ若い夫婦、特に母親にとってどんなにか辛いことだったでしょう。

     

    結婚前、奥さんになる人がカメラの前で着物姿でしこを踏んでいる写真が新聞に大きく出て、

    横綱が怒った、とか新聞記事に載ったことがありました。

    そんな無邪気な女性にとってどんなに辛いことかニュースを聞いて私も心を痛めたものでした。

     

    そして一昨年北海道の大鵬の故郷弟子屈(てしかが)町の「川湯相撲会館」へ夫と寄りました。

    そこには、大鵬の雄姿の写真とともに、大鵬が世界中に救急車を数多く寄付している写真がありました。

    救急車を数多く寄付、などは優勝を重ねる横綱だからこそできることですが、

    私はそこに親としての深い悲しみとともに、それを夫婦で乗り越えた素晴らしい人間愛を感じました。

     

    私はこの事件の時に子育てが恐くなって夫に聞いたことがあります。

    「もしこんなことがあったらどうしよう?」と。

     

    「その時は一生懸命やっていたんだからそれはしょうがないことだ」

    と夫の答えを聞いてほっとして、

    「どちらの責任でもない。夫婦で一生懸命子育てをしていけばよい」

    と考えたものでした。

     

    世の中にはどうしようもないことがあります。

    しかしその時は最善を尽くしたのですから、仕方がない、と考えるほかはありません。

    ただ瞬時の判断、というものがあります。

     

    その瞬時の判断を養うためには聡明に生きることが大事だと思います。

    一生懸命生きるしかありません。

     

  • 婚活妊活ビンボーは怖くない。その15

    2014年1月24日 ,

    *給料が3か月続けて消えた!?

    さてまたその翌月の給料日。

    さあ、こんどこそお給料がはいる

    と楽しみにまた豚カツを作って待っていました。

     

    玄関をガラッとあける音。

    「おかえりなさい!!」

    と言っているうちにススッといなくなりました。

     

    狭い家の中、どこへ消えたかしらと探していると

    どこにいたと思いますか?

     

    風呂場の沸かしているお風呂のふたの上に

    ダルマさんのようにあぐらをかき、

    腕を組んで目をつぶっているではありませんか。

     

    「どうしたの?」

    と聞きますとしばらく返事がありません。

    やっと口を開くと

     

    「新宿で給料を背広のポケットに入れて仲間と飲んで歩いていたら、

    ボンとぶつかってくるやつがいたと思ったら、給料袋がなくなっていた」

    と言うではありませんか。

    これには開いた口がふさがりませんでした。

     

    今でも、風呂桶のふたの上に座っている姿を思い浮かべますと

    おかしくなります(^O^)

     

    3か月続けてほとんど全額給料がなくなり、

    どうして暮していたのか記憶にありません。

    人間という生き物は都合の悪い事、嫌なことは忘れるように出来ています。

    だから生きていけるのです。

     

    ある心理学者の本に

    「男の脳はザル脳、女の脳はバケツ脳」と書いてありました。

     

    男の脳みそはザルのようにこぼれて忘れてしまう。

    女は絶対に忘れない。バケツにため込むように覚えていると。

    たぶん夫は忘れているでしょう。

     

    確かに事件は覚えていますが、その後の困ったことは覚えて居ない。

    たぶんスルリと切り抜けたのでしょう。

    人間は困難にぶつかると、それを切り抜け成長していくのです。

    おかげで少しの物不足にはビックリしないようになりました。

     

    オイルショックや、最近の東日本大地震の時に物がなくなる、

    といってテイッシュペーパーやガソリンを買いだめに走った人がいますが、

    私は一切こういう時に買い物に行ったことはない。

     

    テイッシュペーパーがなければ新聞紙をもんで使ってもいいし、

    葉っぱで拭いてもいいくらいに思っている。

     

    むしろ一人がいつもより一個多く買っただけで

    日本全体の購買量がどうなるか考える頭が必要です。

    ビンボーは人を鍛え、知恵をつけます。

    『のほほん(*^▽^*)』と育った私も少しは生活の知恵がついたかな?

     

    結婚生活は山あり、谷あり。退屈しません。

    そこが結婚の面白い所です。

    江戸っ子は宵越しの金を持たない、といいます。

    波乱万丈、その後も貯まるとすぐなくなるのが我が家の特徴です。

     

  • 婚活妊活ビンボーは怖くない。その14

    2014年1月24日 ,

    給料が3か月続けて消えた

     

    パートの仕事も慣れ、子供たちも保育園生活に慣れ、

    ようやく生活も落ち着いた頃、

    給料が3か月続けて消えるという事件がおきました。

     

    ある晩、夫の高校時代の友人が突然訪ねてきました。

    仕事で失敗したのでお金を貸して欲しい、とのことでした。

     

    ほとんど貯金のない我が家で、どうしたら貸してあげられるか、

    はてと思案していましたら夫が

    「いいよ、あげるから返さなくてもいいよ」と、

    その月の1か月分の給料の半分くらいの金額を『ポン!』とあげてしまいました。

     

    夫は、彼が友人の多くに借りて歩いていて返していないのを知っていました。

    夫は「貸す、というと返さなくては、と気持ちに負担ができる。

    どうせ返せないのだから、あげるといった方があいつは気持ちが楽になるだろ。

    こっちも期待しなくて済むし。」と言いました。

     

    私は「ふーん、そういうものか」と人間の気持ちの動きを面白く思いました。

    しかし我が家にとっては大金でした。

     

    その後30年以上たちますが年賀状も一通も届かず、

    どうしているだろう、と時々思い出されます。

     

    その翌月

    楽しみにしていた給料日です。

    その頃、給料は銀行振り込みではなく現金でした。

     

    どの家庭も、この時は夫の権威が発揮される時です。

    妻はごちそうを作って待っていたものです。

    今のサラリーマンは可哀そうです。明細票1枚ですから。

     

    私も結婚した時、夫の母に「何が好きかしら?」と聞きましたら

    「かっちゃんは豚カツが好きだから、豚カツさえ出しておけばご機嫌よ」

    と言いましたので、給料日はいつも豚カツでした。

     

    当時、豚カツはご馳走だったのです。

    この日も豚カツを用意して待っていました。

     

    しかし、酔って遅く帰って来て

    「同僚とお酒を飲んで歩いていたら、

    バーの大きなガラスのドアに同僚がぶつかって、

    一枚ガラスのドアを割ってしまった。

     

    10万円弁償するように言われたので、オレが払ってきた、

    あいつのうちは金がなくて大変なんだよ」と。

     

    当時10万円は給料の全額です。昭和50年ごろです。

    外資系の会社ですし、残業も多かったので平均よりは多い方でした。

     

    私は心の中でつぶやきました

    「うちだってお金がないんだけど・・・・」

     

    当時、学童保育に子供を二人も預けている家庭は珍しいと、テレビ取材を受けました。

    さてまたその翌月の給料日。

    さあ、こんどこそお給料がはいる!!

    と楽しみにまた豚カツを作って待っていました。

     

    ところが・・・。

    次回をお楽しみに!

  • 婚活妊活ビンボーは怖くない。その13

    2014年1月23日 ,

    「夫は家族を食べさせてやっている」は本当か?

     

    日本では夫が働いて家族を養い、妻は子供を育て家を守る、

    という風習が長く続いてきました。

     

    今の若い人の間ではその考えはだいぶ薄らいできたように感じます。

    しかし、主婦が正社員として働く人はいまだに少なく、パートが圧倒的です。

     

    家事をやりながら勤めるのは、時間的にも大変だ、

    子供の学校の行事や役員をやらなければならない、

    と言った理由で、妻もパートを選ぶことが多いのが現実です。

     

    したがって、収入の面でも夫の方が多く、

    妻は扶養家族として扶養控除を受けています。

     

    扶養控除があるため税制面でもパートのほうが有利なので

    必然的にパートになってしまっています。

     

    意識の上でも夫に従属してしまい、離婚を考えても生活出来ないので、

    大事な人生を我慢で過ごしてしまう人もいます。

     

    しかしこの優遇税制は女性の自立にとって実は悪法です。

    国も経営者側も、パートで給料を安く抑えたほうがよいので

    この制度を利用しているのです。

     

    結婚とは男女が同等の権利と意識をもって相手を尊重し、

    敬って生活することだと思います。

     

    「おかみさん=神様」と言われ、家の中では妻は一番威張っているように見えますが、

    実は夫側は「食べさせてやっている」という意識が日本人の男性にはあります。

     

    私は長女が小学校に入った時、フルタイムの管理薬剤師の仕事を頼まれ、

    思い切ってパートをやめ、正社員として働き始めました。

     

    その時夫は会社に扶養控除をはずす届を出すとき

    「夫が妻を養っていけないのでは甲斐性がない、と言われそうだ」と渋っていました。

    昭和50年頃の話です。最近の意識はどうでしょうか?

    写真:次女と公園で遊ぶ夫

    私も、結婚した時は働いていなかったので、夫に食べさせてもらっている、

    と思って自分の物は一切買いませんでした。

     

    昼食も自分だけ食べるのは申し訳ないと思い、水を飲んでいました。

    おかしな話ですが何となく夫が苦労して働いて得たお金で

    夫と別のものを食べるのは申し訳ないような気がしたからです。

    おかげで結婚当初は、ぎろぎろにやせてしまいました。

     

    その後も夫はほとんど毎晩帰りが深夜で、夕食は家では取らなかったので

    生活費はすべて妻と子供が使っているような気がしていました。

     

    しかし、ある時気が付きました。

    夫も半分は使っていると。

     

    長女が3歳の時、アメリカに夫が単身赴任で1年行くことになりました。

    昭和48年です。

     

    まだ1ドル360円の時代で、アメリカへ行く人は珍しく、

    羽田で会社の人が集まって「バンザイ」と送ってくれました。

    夫がいなくなり、さっそく家事の手抜きです。

     

    まず朝の味噌汁をやめ、煮物もやめて炒めものにし、

    入浴もお湯が汚れないので1日置きにしました。

    そうしましたら、翌月からガス代水道代食費が半分に減りました。

     

    そこで

    「なあ~んだ、家で夕食を摂らないので

    夫は何も生活費を使っていないと思っていたけど、

    半分は使っているじゃない」と覚った次第です。

     

    「夫も半分は使っている、食べさせてもらっている、と小さくなる必要はないんだ」と。

    それから少し私の態度も大きくなったようです。

     

    夫が渡米して1カ月した頃3歳の長女に

    「ママ、お味噌汁が飲みたい(´□`。)」と言われました。

    負うた子に教えられる、と言いますが、3歳の子に言われ、

    恥ずかしくなりそれからは、きちんと毎朝味噌汁を作ることにしました。

     

    昆布と煮干しで出しを取った味噌汁を30年以上続けていますが、

    私は自分で「おいしい、おいしいo(〃^▽^〃)o」と言いながら飲んでいます。

     

    次回は女性が働くことについて。

     

  • 婚活妊活ビンボーは怖くない。その12

    2014年1月23日 , ,

    *夫の父も二男坊

    私がビンボー生活は当たり前、

    と思ったのは夫の父も影響しています。

     

    夫の父は栃木県の村長の二男。

    村長だった祖父は銅像もあるくらいですから、

    人望もあり、村に尽くした人だったでしょう。

     

    しかし義父は長男ではないので、家は継ぐことはできず、

    東京に出てきて早稲田実業学校に入り、そこの給仕をしながら苦学したそうです。

     

    沖電気工業に入社、そして結婚。

    4人の子供全員を、サラリーマンをしながら大学に行かせてくれました。

     

    ボーナスはすべて学費に回ってしまいました。

    夫の母は教育が大事、と一生懸命子供たちを教育し、よい学校にあげてくれました。

     

    結婚に関しても、のんびりしていた夫に、

    大事な娘さんを待たせては駄目だ、とお金がなくてしぶっていた夫の尻を叩き、

    結婚させてくれました。

     

    お金がないのは、よくわかっていて夫の母は

    「新婚旅行のお金あるの?」と心配してくれましたが、

    ないからといって親が出す事はありませんでした。

    当時はどこの親もそうだったと思います。

     

    最近の人は新婚旅行に行かない人もいます。

    私の経験では生活費を考えない内に行ってきた方がいいと思います。

    なんと言っても、人生で一番楽しい思い出が出来ますから(^-^)/

     

    写真『夫の両親と。娘たちはお揃いの洋服を着て。』

    義父は数年後、がんで亡くなる時も泰然自若としていて、

    不安な気持ちや苦しい様子を見せず、

    私は人が亡くなる時にこんなに静かな気持ちで亡くなることが出来るのか、と思いました。

     

    もう危ない、という知らせで、私の父が静岡から出てきて病室に見舞いに行った時にも

    「やあ!退院したら一緒にゴルフをやりましょう!」

    と言ったので、私の父はびっくりしていました。

     

    自分で勝手に退院計画を建て、

    「30日になったら退院だよ」などと言って楽しみにしているので

    家族は不思議がっていました。

     

    こんな誠実で、一生懸命家族のために働き、生きてきた義父を見ていて、

    私は彼も義父のように誠実な結婚生活を作っていくだろう、と思い、

    結婚してお金がない生活が続いても不安は全く感じませんでした。

    次回をお楽しみに!

     

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