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ある若い女性薬剤師の物語・2
これは彗星のように輝やきながら飛び去った彼女の人生の軌跡をたどる物語です。
その2 日大板橋病院救命救急センター時代・・笑い声で採用される。
就職先を考え私の恩師 東京理科大学薬学部の教授 辰野高士先生に相談しました。
当時辰野先生は日本の薬学の教育関係の教育関係の第一人者でした。
温厚な人柄と生粋の江戸っ子で、べらんめえ調のユーモアあふれる授業で人気がありました。
ちなみに今話題の東京駅を設計された辰野金吾博士は
先生のおじいさんに当たり、写真で見るお顔はそっくりです。
先生は「大学病院の研修生ならいろんな分野が体験できて、
将来役に立つよ」とおっしゃいました。
そしてちょうど募集していた日大付属板橋病院の研修生の試験に受かり
半年間研修できるようになりました。
やっと大学を卒業したところでまた無給の研修生は厳しかったのですが、
娘の将来のためと応援しました。
(写真 大学時代 実験室で)
そして半年後、空きのなかった日大医学部付属板橋病院救命救急センターに
見事就職できました。
空きがない、という話でしたのであきらめていたのですが、
後日、当時の薬剤部長が彼女の結婚式の祝辞でこう述べてくださいました。
「救命救急センターというところは、野戦病院のようで毎日急患が大勢来て、
職員も殺気立っているところです。
その中でMの笑い声が皆の気持ちをほぐしてくれました。
実は採用する予定がなかったのですが、そんなわけで特別Mを採用しました」と。
おやおや笑い声で採用されたとは!!
しかし救命中大きな声で笑っているとは?
みなさん、笑い声で採用されることもあるのです。大いに笑いましょう!
次回は「その3 MRSAの研究、脳低温療法の研究手伝い」です。