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頑張るのも、休養も大事。
昨日はどこにも出かけない、久しぶりの休日。
仕事も好きですが、家事も好き、と言っても、ほとんど出来ていません。
普段は気持ちに余裕がなく、あれもしなければ、
これもしなければと追われて、簡単なことも後回し。
キッチンが汚れていて、気になっても磨く気力が出てきません、
と、言うより磨く気持ちにもなりません。
それがストレスになって溜まっていきます。
でも昨日は頭と体が疲れていないので、まずはキッチンの、普段できないところを磨き
庭の草取りをし、つくばいの水の出方を調節し、枯れた葉を取り、スッキリしました。
玄関前の通路のコンクリートの市松模様の白地が泥で汚れが着いているのが
気になっていた所がありました。1年間磨いたことがありません。
そこもタワシで磨いたら、取れないと思っていた汚れも簡単に落ちて、気分がスッキリしました。
こんな、ささやかな事でも幸せを感じたのも、心と身体に余裕が出来たからでしょう!
頑張るのも大事ですが、休養も大事ですね!
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熟睡はなぜ気持ちがいいのでしょう?
熟睡はなぜ気持ちがいいのでしょう?
・・・・それは幸せホルモン、セロトニンが出来るから。
昨日は「ウエマツ薬局漢方講演会“ねむる”」でした。
大雨が上がり良い天気になり、会場いっぱいで楽しい会となりました。
植松は自分の体験談を話させていただきました。
メラトニンと言う物質が脳内にできると、質のよい睡眠が得られます。
そして、そのメラトニンの材料がセロトニンです。
このセロトニンはイライラを抑え、人を幸せな気分にするので「幸せ物質」とも言います。
このセロトニンと言う物質を発見された方と、
たまたまトルコの旅行でご一緒した事があります。
70代くらいの、痩せ形の人のよさそうな男性でした。
彼は若い東大の研究生の時に、実験でラットを眠らせないと、
脳の中はどのようになるか、実験をしていたそうです。
ラットをつついては寝かせないようにしていたのですが、そのうち自分が寝てしまった。
はっと目が覚めたら、ネズミもぐっすり寝ていたそうです。
そして脳の中を解剖したら、このセロトニンと言う物質がいっぱいあった、と言う事です。
セロトニンが出ると、メラトニンを作り、よく眠れます。
ちなみに彼は、70歳くらいでしたが、目がキラキラ輝き、
子供のような純粋な表情をしていました。
彼は「ノーベル賞候補になるはずなんだけどならない。いまだにビンボーだよ。」
とおっしゃっていました。
奥さんがこの話を聞いていて、びっくりして
「今まで夫はこんな話を人に話した事がないのにどうしたのでしょうね。」
とおっしゃっていました。
ではクイズ
メラトニン、セロトニンは何から、どこで作られるのでしょう?
答え:あなたが召し上がった食べ物から、あなたの胃腸から作られます。
そうしたら、よく眠る一番の基本は食べ物と、胃腸、特に腸の調子が大事です。
食べ過ぎると、気持ちが悪くなり、悪夢を見る事があります。
お饅頭のお化けに追い掛けられた夢を見た事はありませんか?
または、お腹が空いて眠れず、夜中に起きて暖かい牛乳を飲んだら、
ほっとして眠れた、という経験がありませんか?
このように胃腸と、とても関係があります。
胃腸が弱いと、クヨクヨしやすく、眠りが浅い人が多いようです。
胃腸が弱くて眠れない方におすすめの漢方もあります。
飲むと元気が出て食欲が増し、眠れるようになります。
心を元気にする食べ物は、ナツメ、蓮の実、ユリ根、人参、などです。
胃腸を元気にする食べ物はジャガイモ、サトイモ、キノコ、スペアリブ、鶏のスープ、
米、雑穀、牛肉、魚類があります。
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日本で活躍している中国漢方医の物語
今、日本で漢方、正しくは中医学を正しく普及させてきたのが、
日本にいる中国の漢方医である中医師たちです。
その中医師たちの多くは、文化大革命を経験した年代です。
1966年(昭和41年)から約10年間続きました。
日本人には想像もつかない過酷な運命を背負って、
今、日本で活躍し、日本の人達の健康向上に貢献して下さっています。
私が、少しですが聞きかじったことを、これから数回に分けて書いていきたいと思います。
文化大革命、正しくはプロレタリア文化大革命と言いますが、
これは資産家、医師など知識人は人民の敵であり、排除すべきで、
労働者が第一、という毛沢東の思想のもとで行われた革命です。
その知識人たちは、その生まれそのものも非難され、糾弾され農村に下放されました。
今、日本にいる50代60代の人たちの親は仕事を剥脱され、
農村に送られ慣れない農業などをやらされ、
その子供たちも、一番の子は最下位に落とされたそうです。
私が中国語を教わった東大の留学生、Aさんもそんな一人です。
姓を聞けば気づくかたもいると思いますが、清朝末期の貴族の出身です。
両親は糾弾されて生死不明となり、12歳の彼女が6歳の弟を育てたそうです。
信じられない話ですが、彼女の話では病院の院長は職を解かれ、
運転手となり、運転手が労働階級だからと優遇され、
病院の医師待遇になり、手術を任された。
当然出来ないので、元院長が窓の外から手術を指示していた、ということです。
彼女の弟は小学校の入学式の前日、皆が着ていく入学式用の白いシャツがなく、
入学式に行くのは嫌だ、というので、12歳の彼女が徹夜をして縫って、明け方仕上げました。
弟に着せようと起こしに行くと部屋にいません。
探しに行くと弟は外で遊んでいました。
自分には白いシャツがないから入学式にはいかない、
と泣きながら言うので
「お姉ちゃんが縫ってあげた。」と渡すと大喜びした、という話をしてくれました。
中国と日本は、政治的にギクシャクしていますが、
個人的に私が知っている中国の方は温厚でいい方ばかりです。
人の話もよく聞いて下さいます。
日本は中国から多くの文化を学んできました。
中医学もその一つです。
これからの高齢化社会に向けて中医学の知恵は大いに役立ちます。
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「翡翠(ひすい)が取り持つ輝きご縁」
20年ほど前のことです。
中医学の勉強の研修団の一員として北京へ行った折、
デパートで翡翠(ひすい)の売り場を見ていました。
以前香港で翡翠の指輪を買って以来、翡翠が大好きになっていました。
付添いの楊先生が「翡翠なら雲南省に良いものがありますよ。」
と、声を掛けて下さいました。
「雲南省!?」「どうしたら雲南にいけるかしら?」
雲南中医薬大学は楊 達先生の母校で、
先生は皮膚科の専門医としてこの大学で教えていたことがあるので、
多くの教授、医師たちは同級生や友人たちです。
楊先生の尽力で皮膚科の研修団を作り、遠い雲南に行けるようになりました。
チベットに近く、気候は暖かく湿気が多いので、
日本と似た皮膚病の人が多く、勉強になります。
早速、雲南中医薬大学の附属病院に研修に行きました。
なんと、病院の隣に翡翠市場があったんです!!
毎日昼休みに通い、品定め。
始めは良い悪いが分かりませんでしたが、次第に目が慣れてきました。
この病院は、中国で1、2の皮膚科を主として、
全国から患者さんが集まっていました。
今に到るまで、毎年この病院に通うようになり、
中医皮膚科を深く勉強するようになりました。
楊 達先生の友人ということで、とてもよくして下さり、
東日本大震災の時は歓迎会で黙祷をささげて下さり、
多くの寄付金も集めて下さいました。
また、私が風邪で寝込んだ時は、
ホテルまで院長がお粥を持ってきて下さり、
中国の方の優しさに触れ心が熱くなりました。
こんな翡翠がきっかけで、私の中医皮膚科の勉強が始まり、
一生をかける学問となりました。
人生っておもしろいですね。あなたの人生のきっかけはなんですか?
最期までお読み下さり、ありがとうございます。
(写真 雲南省中医医院皮膚科)
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「通いの場」
認知症予防に「通いの場」を作る、と厚労省が言っています。
とても良い言葉ですね「通いの場」
年と共に、出かけることがおっくうになります。
でも、出かけるとなると、着替えをしたり、
女性はお化粧をしたり、おしゃれもしたくなります。
気分が高鳴ると、血流もよくなり、すこし汗ばむこともあり、のども乾きます。
中医学でいう「気・血・水」が動くのです。
そうすれば、脳の中の血流もよくなり、全身の筋肉も使うようになります。
ですから出かける、ということは、一番の認知症の予防になります。
私は高齢の方、鬱っぽい方には、いつも一番の治療は
「遊ぶこと」「遊びなさい」と最後にお話ししますと、どなたもにっこりなさいます。
ワクワクする、好きなことをすると、気持ちが元気になります。
一つは、いつも行く場所がきまっていると、気が楽に行けます。
ラジオ体操、カルチャー、公民館、あるいはデイケアでもいいです。
そこへ行けば「自分の場所」がある、ということは、緊張しなくて気が楽に行け、
毎週1回でも、毎日でも行くこともよいです。
私も毎朝、近くの公園にラジオ体操と太極拳に行っています。
大変だな、と思う時もありますが、毎日皆さんが帰るときに
「明日も来るでしょ」と声を掛けてくれるので、休みにくく、頑張って行っています。
ウエマツ薬局でも、朝ゆっくりした時間の9時40分からラジオ体操を
3階のカルチャールームでやり、そのあと、早口言葉を楽しくやっています。
やった後は、体がぽかぽか軽くなり、そのあと漢方相談をなさるかたもいます。
他にもピラティス、ヨガ、太極拳なども毎週やっていますし、
漢方薬膳講演会もやっています。
皆さんの「通いの場」になればいいな、と願っています。
ピラティス
ウエマツ薬局で行っています。詳しくは↓