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80歳、現役漢方薬剤師から皆様へ
21日は今期最後の「漢方養生教室」
そして植松が80歳を迎えた、ということで受講生の皆さんから真っ赤な花束をいただきました。
赤が私の雰囲気に合う、ということでとってもうれしく、元気を頂きました。
80年いろいろありました。
現在、夫は私が仕事に行った日や、外出した日の食事は作ってくれています。
できたてが食べられるよう、玄関を開けるやいなや温めはじめ、
椅子に座ると同時にお盆に載せた食事がでてきます。
今が人生で一番幸せで静かな時かもしれません。
結婚したときは25歳同士。貯金は全くありませんでした。
昭和38年ごろ、4年生の大学へいく女性はほとんどありませんでした。
私が薬学部に行く時には、「結婚の支度は自分で全部するから、大学へ行かせて」と両親に頼みこんで行きました。
名古屋で結婚した冬は毎日雪がふりました。
湯沸かし器を買えないので、茶碗を洗う時、「冷たい、冷たい」という私に夫がやかんで湯を沸かして洗い物にかけてくれました。
「寒い、寒い」と言っていましたら夫が外へ飛び出していき、電気ストーブを抱えて帰ってきました。
お金がないので「パチンコで取ってきた」というのです。
長女を生んで直に二女を妊娠し、臨月で出産のため実家に帰る時
「病院に払うお金ある?」
と聞いたら夫は
「大丈夫、お前がいないから食費が浮く」
と言いました。
二女を生んで赤ちゃんの顔に見に来た夫に
「お金もってきた?」と聞くと
「お前がいないから飲んじゃった」
二女を生んで2か月目、私は薬局で働くことにしました。
保育園に入れないので、2歳の長女は職場へ連れていき、二女は保育ママさんに預けました。
職場までは自転車が必要となりましたが、買うお金がありません。
勤める前から自転車代を前借りしました。
それから55年私の共働きの人生が始まったのです。
ところが48歳の時、当然夫が会社を辞めたのです。
考えた結果、彼は3年間漢方を学びに学校へ行き始めました。
私も必死に働きました。
その後私も長女とともに理想の薬局を立ち上げました。
しかしその後も山あり、谷あり。
詳しくはブログ「婚活妊活ビンボーは怖くない」
「ある若い女性薬剤師の物語」ぜひお読みください
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私にとって幻の味
人は美味しいものを一度味わうと忘れられないものです。
以前目黒の小料理屋さんでいただいた、お吸い物の味は忘れられません。
一口飲んだら「ガン❗️」と頭を叩かれたような気がしました。
鰹節の味はしません。
ただうまいと言うだけです。
私にとって幻の味です。
その味を再現したいといつも思っていました。
今日は私の公休日。
風邪引きの孫の大学生のためにその幻の昆布ダシを作ってみました。
水1リットルに日高昆布20センチを入れて沸騰したら、すぐに火を弱めて20分。
旨みの逃げない80度に保つ、と以前料理の先生に教わりましたが、
ガス火ではなかなか難しい温度です。
すぐに熱くなってしまいます。
家ではIHヒーターなので、その「とろ火」に設定すると、いい具合でした。
昆布を取り出し、そこにたっぷりの鰹節を入れて
また沸騰させてすぐ火を消し、出来上がり。
大量の昆布は柔らかいうちにすぐに1cm角に切って佃煮風に。
これもまたおいしい。
出来上がっただし汁は琥珀色に透き通ってきれいです。
早速かき玉汁を作り、生姜の絞り汁を入れて食卓へ。
大学生の孫が風邪をひいているので味がわかるかしら?と思いましたが
「うまいっ!」と、一言。
「昆布の味も鰹節の味もしなくて、うまみだけあるね」といっぱしのことをいいます。
その言葉を聞いて私は密かにほくそみました。
「幻の味が再現できた!」
最後までお読み下さいましてありがとうございます。