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  • ある若い女性薬剤師の物語・1

    2014年2月4日

    これは彗星のように輝やきながら飛び去った彼女の人生の軌跡をたどる物語です。

    物語はある電話から始まります。

    その1 大学受験から薬学生、モデル時代

     

     

     

     

    「大変です!Mが薬学部の推薦決定の試験を受けてないことがわかりました!!」

    という、高校の担当の教師からの電話が鳴り響きました。

     

    聞くとトップで薬学部推薦になっていたが、最後の小試験を受けていない、と言うのです。

    理由を聞くと「自分の実力を試したかったから」

     

    それからが大変です。

    すでに各大学の入学試験は始まっていました。

    日にちのあう薬学部に片端から願書を出し、受験開始です。

     

    北海道から九州まで9つの薬学部に願書をだし、毎日受験です。

    飛行機で日本全国を飛びまわらなければならないか、と覚悟をしましたら

    遠隔地の大学は東京に受験場を設けてあったので助かりました。

    推薦をけった大学もまた受験し、面接で「ぜひ合格させてください」と言ったそうです。

    家族はそれを聞いて笑ってしまいました。

    しかし不合格。やはり実力相当だったのです。

     

    そして「桜散る」の電報が毎日届き、それを見てまた受験に向かう、

    そんな日が続いたある日「補欠合格」の電報が届き、

    夜中の2時ころ相変わらず飲んで帰館した父親が

    「みんな起きろー!!合格したあー」と大騒ぎ。

     

    そして遠い仙台の薬学部に入学。

    薬学部の入学金、授業料は高く生活費と合わせて仕送りをしましたが、

    十分な額は送れません。

     

     

     

     

     

     

    (写真 三井物産カレンダーモデル)

    生活費の足しにとアルバイトにモデルを始めました。

    4歳から高校三年生までクラシックバレーを習い、

    合わせて新体操もやっていたおかげか姿勢がよいのでだいぶ人気が出たようです。

     

    三越デパートのチラシの洋服のモデル、銘菓「萩の月」のテレビ、コマーシャル、

    三井物産の大型カレンダー、水着のポスターなど親に黙ってやっていて

    卒業したらベッドの下からそれらがいっぱい出てきました。

    仙台名物の七夕祭りの女王にもなりました。

     

    学校でも有名になり、

    卒業式の学長を囲んでの写真はふつう学長が真ん中に立つのですが、

    なんとMが真ん中に立ち、学長がMに寄り添うように立っていました。

     

    友達をとても大事にし、あるとき電話がかかってきました。

    「おかあさん、おかゆの作り方教えて」

    聞くと友達が風邪をひいて熱をだしたので、

    友達のアパートにいておかゆを作ってやりたい、と言うのです。

     

    「うちでもつくったことなんかないのにどうして作ってあげたいとおもったの?」と聞きましたら

    「仙台ではお母さんがいないから、お友達を大切にしないと」という返事でした。

     

    生涯友人や家族をとても大事にする人でした。

    しかし成績は360人中300番になり、

    4年生になり卒業試験、国家試験も間近になりました。

     

    それから猛勉強を始め60番になりましたが、卒業試験は落ちてしまいました。また猛勉強。

    国家試験の直前の再試の卒業試験にやっと受かり、

    勢いで難関の薬剤師国家試験は一回で合格しました。

     

    担任の先生は

    「卒業試験が落ちてよかった。受かっていたらMのことだから

    きっと遊んでしまって国家試験は落ちていただろう」と笑いながらおっしゃいました。

     

    実は高校受験の時も大騒ぎだったのです。

    この人は人生で受けなくてもよい試験を人の何倍も受けました。

    亡くなるときも受験勉強の直前でした。

     

     

     

     

     

     

     

     

    次回は「その2 日大板橋病院救命救急センター時代・・笑い声で採用される」です。

     

  • 婚活妊活ビンボーは怖くない。その11

    2014年1月22日 ,

    《ビンボーが怖くないのは二人の父の影響》

     

    私がビンボーを恐れないのは二人の父の影響があります。

    私の父は、母をとても大事にし、

    結婚当時の事を懐かしそうによく話してくれました。

     

    当時は結婚前に顔を合わせることもなく、

    結婚式当日に初めて顔を見る、と言うのがフツーだったそうです。

    考えられない事です。

     

    しかし父は、結婚前に母の家に行って、

    垣根から母の顔をそっとのぞき見したことや、

     

    結婚式の費用を祖父が

    「お前の郵便貯金通帳から出しておいたよ、とおじいちゃんに言われた」

    などと話していました。

    その話を聞いて私は結婚式の費用は自分で出すものなんだ、と思ったのです。

     

    私は高校3年の夏休みに、それまで短大志望でのんびりしていたのですが、

    突然大学へ行きたくなり、

     

    親に「どうしても大学に行きたい、結婚式の費用は要らないから」

    と頼んで行かせてもらった経緯があり、

     

    就職してから給料の半分は貯金し、

    それを結婚資金にあて、

    退職金の5万円が持参金!!となった、というわけです。

     

    祖父は明治時代静岡県で初めて理髪店を開いた人です。

    横浜に修行に行き、静岡で店を持った時、

    その当時はまだ、ちょんまげも多く、

    理髪店は最先端のファッションだったことでしょう。

     

    県知事や市長さんなどがお客で来たそうです。

    私も戦後の何もない時代、

    お客様のマッケンジーさんという、

    名誉市民のアメリカ人のお宅にクリスマスに招かれ、

    大きなクリスマスツリーの周りで手をつないで踊った記憶があります。

     

    その時食べたクッキーに

    「この世にはこんなにおいしいものがあるんだ」とびっくりしました。

     

    写真『父と母』

     

    父はその二男に生まれました。

    戦前は家を守るため、長男だけに家の財産をすべて譲り、

    二男以下は財産はもらえず、家を出て独立しました。

     

    父は自分の事は自慢をしない人でしたが、

    父が亡くなった時、葬式で当時の友人が

     

    「勇ちゃんは成績が良くて、

    皆の憧れの静岡工業高校(今の静岡大学工学部の前身)に入って、

    その頃珍しかったカメラをもっていてうらやましかった」

    と弔辞で話してくださり、父を見直しました。

     

    私には一回も勉強しなさい、と言ったことはなく、

    むしろ通信簿の「協調性」のところをいつも注意されました。

     

    しかし小学校1年生の時、

    自転車の後ろにのせて日記帳を買いによく連れて行ってくれたことを、

    日記帳の鮮やかなピンクの色と共に思い出します。

     

    私は高校時代はもう勉強はしたくない、と短大志望で遊んでいました。

    幸い英文の短大なら日本中のどこでも入れる、

    と先生に言われ、のんびりしていたのですが、

    突然高校の3年のそれも夏休みに入ってから、思ったのです。

     

    「短大に入って1年は夢中で過ごしてしまうだろう。

    2年になったらもう就職活動、

    そうしたらじっくり勉強は出来ない。

    もう一生勉強が出来ないんだ」

     

    と思ったら、あんなに苦痛だった勉強が突然したくなったのです。

    そして短大文系のコースから、4年制国立理系のコースに3年の夏休みから変更しました。

     

    当時の学校ものんびりしたものです。

    足りない授業は夏休みに職員室で補講です。

     

    文系に行きたかったのですが、

    父に4年制に行くなら資格の取れる薬学部でなければ駄目だ、

    と言われ薬学部にしました。

     

    新聞記者になって世界中飛び回りたかったので、

    大学に入って一時は悶々としたこともありましたが、

    今では薬剤師になり、漢方という天職に出あい、

    親には感謝しきれないくらい感謝しています。

     

    子供3人を静岡から東京に出し、経済的にとても大変だったようですが、

    両親は二人ともよく笑い、父は普通は怒るような時でも「わっはっは」と笑う人でした。

     

    私が東京のへ大学受験に来た時、

    受験の前日に父は

    「SKD(松竹歌劇団)のレビューを見に行こう」と誘い、

     

    私は「おやおや、こんな親がいるかしら」と思いました。

    その時に受験した大学は落ちました

     

    卒業式には静岡から出てきてくれ、

    式の帰りにはダンスホールに行って父とダンスを踊りました。

    次回をお楽しみに(^^♪

     

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