-
婚活妊活ビンボーは怖くない。その8「保活4」
やっと入れた保育園でしたが、
子供を預けて働くことに罪悪感を感じました。
日本の女性は、手元で子供を育てることが
女の務めだという先入観が抜けません。
しかし、中国の女性は、好きな事をして生き生き働くことが
夫や子供のためになる、という考えで
幼児をおいて外国へ留学したり、働きにでていて、驚かされます。
夕方帰宅してからはしっかりと子供と向き合い、
寝るときは、毎晩絵本を読んであげ、育児は楽しいものでした。
二女は美術学校を卒業する時
「私の原点は保育園よ」と言って、
保育園の遊具の製作が卒業制作でした。
この言葉を聞いて永年の心のひっかかりが取れました。
さてやっと生活も少し楽になってきましたが、
またまた困窮生活に💦
給料が3カ月続けてなくなる事件が!!
写真:水色のコートはグリーンとブルーの二枚重ねのリバーシブルの生地の私のコートをはがして作りました。
-
婚活妊活ビンボーは怖くない。その5「保活1」
ちょうどそのころ薬局から就職の話が来ました。
私も思い切って働こうと思い、夫に言いましたら
「子供はどうするんだ」
「保育園に預けようと思うんですけど」
「保育園はビンボー人の行くところだ」
「うちはビンボーじゃない?」
夫は黙ってしまいました。
《娘・子供の洋服はすべて手づくり。
作るのも楽しみのひとつ。帽子も手作り》
その当時は、妻が働くことは夫が甲斐性がないと言われ、
保育園も生活に困った人がやむを得ず預けるところという認識がありました。
今ではむしろ反対ですが。
そして1歳11カ月の長女は、保育園に入れないので
職場に連れて行くことにし、
2カ月の赤ちゃんは市の認可保育施設の
「家庭ママさん」に預けることになりました。
まだ首が据わらない二女を横抱きにして、
長女はスカートにつかまらせて歩いて30分のところを通いました。
両手がふさがっているので、
雨の日は傘の柄を首でささえて歩きました。
職場までは1歳11カ月の子を連れて歩くと1時間かかり、
幼児の足では疲れて転びはじめます。
自転車が欲しいと思い、
仕方がないので就職したばかりの薬局に給料の前借です。
10000円借りて自転車を買いました。
次回は子連れの職場奮闘記 お楽しみに
-
婚活妊活ビンボーは怖くない。その4
さて、2人目は、女の子で逆子で生まれました。
頭から先にでるのがフツーですが
お尻から、ガボッと生まれました。
逆子と言うのは難産が多いのですが、
若かったせいか、楽に生まれました。
《写真:3人で》そして、駆けつけた夫に小さな声で
「お金持ってきた?」 と聞きましたら、
夫はなんと
「お前がいないから飲んでしまった」と言うのです。
全部、お酒に変わってしまったのです!
仕方がないので、親から借りました。
しかし困ったことに、私の生活費もありません。
テイッシュペーパーを買うお金もないので
親に言いましたら、3000円くれました。
結婚後の私の人生で、親からもらったお金はこの「3000円」だけです。
結婚してから、何かと親からもらう人もあるようですが、
これ以後は一切もらわないよう、頑張ってきました。
この子が2カ月になった時、
夫の母が、赤ちゃんの顔を見に我が家に訪ねてきました。
お茶菓子を買おうと思い、財布を見ましたら、300円しかありません。
家中で300円です。
スーパーで、夏ミカンがひと山400円で売っていたのを思い出し、
買いたいなあ、と思いましたが、100円足りません。
結局、義母はお茶を5杯も6杯も飲んで帰っていきました。
遠いところをわざわざ来てくれた義母に申し訳ない、
と今でも思い出すと心がうずきます。
次回は今も30年前も変わらない「保活」の話
-
婚活妊活ビンボーは怖くない。その3
長女の未来は元気過ぎるくらい元気で、
1歳になった時私は悟りました。
子供と言うのは親が好きなように育つものでない。
持って生まれたものがある。
それを手助けするのが親のつとめではないか、と。
のんびり子育てを楽しもうと思っていたのですが、
とても子供は手に負えない。
仕事を始めよう。
早く子供を産んでしまおう、と思い、
春に生まれるよう、計画的に二人目を作りました。
出産費用の事は何とかなるだろうと何も考えませんでした。
そして臨月になり実家に帰って生む準備をし、
夫に「出産費用ある?」と聞きましたら、
「今はないけど、大丈夫、
お前が実家に帰っている間は食費が浮くから
その分を持っていくから心配しなくてもいいよ」
私はその言葉を信じて産みに実家に帰りました。
《写真:嬉しそうに離乳食を食べる娘・未来》
しかし後で考えたらおかしな話です。
1か月分の私の食べる分なんて知れています。
そのお金で出産費用が賄えるなんてことはありません。
しかし「右向け右」と言われれば右を向いたきり、
という私の性格で深く考えもしないでお産をしました。
二女を産んで病院に駆け付けた夫に開口一番
「お金、持ってきた?」と小さな声で聞きました。
夫は何と言ったと思いますか?
この後は次回のお楽しみ。(^-^)/
-
婚活妊活ビンボーは怖くない。その2
夢の新婚生活は11月から名古屋で始まりました。
結婚前は薬剤師として病院で働いていましたが、
結婚後は専業主婦が憧れでしたので慣れない家事を楽しんでいました。
名古屋のその冬は寒く、1月は毎日毎日20日間雪が降り続きました。
湯沸かし器がなく、毎晩食器を洗うたび、私が「冷たい、冷たい」と言いますので、
夫は、やかんに湯を沸かし、かけてくれました。
ストーブもないので、「寒い、寒い」と言いましたら
「待ってろ!」と言って外へ飛び出して行きました。
「お金がないのにどこへ行ったのかしら」と思って待っていましたら
石油ストーブを抱えて帰ってきました。なんとパチンコで取って来たのです。
(皆さんにはこの方法はおすすめ出来ません。
たいていの人はスッてしまいますから(-_-;)。夫は特別です)
《写真:長女・未来と初めてのお正月》
じきに私は妊娠しました。
25歳同士ですから、若い時は簡単に妊娠します。
夫はハネムーンベビーを期待していたようです。
赤ちゃんがいる楽しい家庭が夢だったそうです。
私が赤ちゃんのために毛糸でおくるみを編み始めますと、
夫は毛糸を一個ずつ買ってきてくれました。
一個は200円だったような記憶があります。
まとめて買うお金がないので、一個ずつでした。
当時の家計簿を見ると食料品以外は、
針とか糸、毛糸、テイッシュくらいしか記入がありません。
エンゲル係数は限りなく100%に近い生活でした。
夫は残業で1カ月100時間働いて毎晩帰りは2時でした。
当時は高度成長期でそれは当り前でした。
その深夜の帰宅は20年間続きました。
当時の収入は6万円、一般のサラリーマンより多い方でしたが、
家賃2万円、夫のこずかい(飲み代含む)2万円でしたので、生活費は1カ月2万円。
月の半ばになると1000円しか残らない時もあり、どうして食べていたか記憶にありません。
そして長女の未来が生まれました。
夫はとても可愛がり、日曜日になると近くの公園に乳母車で出かけ、時々は
「子供を見てるから買い物に行ったら」と言ってくれ、
私はハンドバッグを抱えて出かけました。
気がつくと財布にはいくらも入っていないので
「何を買おうかしら」とおかしく思ったこともあります。
ハンドバックも、結婚前に母が買ってくれたブランド品の黒のバッグでしたが、
古くなり黒色がはげて来たのを夫がマジックで塗ってくれました。
この後は次回のお楽しみ。