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ある若い女性薬剤師の物語・4
これは彗星のように輝やきながら飛び去った彼女の人生の軌跡をたどる物語です。
その4 中医学の道に進む
親が漢方専門薬局をやっていたので、
責任感の強い彼女は長女でもあり、いつかは漢方をやらねば、
と言う気持ちがあったのでしょう。
5年間世話になった日大板橋病院をやめ、
中国貿易をやっているイスクラ産業がやっている「イスクラ中医学研修塾」に入塾、
1年間寮に入り中医学を基礎からしっかり学び、
仲の良い友人もでき、最先端の西洋医学を学んだ後に歴史ある中医学を学び、
奥深い哲学を学んだようです。
さらに深く中医学を勉強しようと本郷にある中国政府が外国に作った
「北京中医薬大学日本校」にも通い始め、
3年間通って日本人として当時最年少で国際中医師試験に合格しました。
この時の苦労話は
「国際中医師とは中国政府が正式に認めた国際的に活躍できる漢方専門医」
をご覧ください。
(写真:病院退職時)
この学校は社会人教育の学校のため土日だけで、
1年コースの薬膳科と3年コースの中医中薬学科がありました。
この時も「 中医学は面白い」と一生懸命勉強し授業は隔週2回、
土曜日の午後5時から8時まで、日曜日は9時から4時まででしたが、
その日勉強したことはその日の夜中の2時ころまでかかってパソコンに打ち込み、
そのノートは学校の教科書にもなりました。
川越市の霞が関にある ウエマツ薬局の支店に勤め始め、
不妊相談や近所の人たちの健康相談に親身に相談にのっていました。
店の中は従業員とお客様が一体になったような和やかな雰囲気でした。
**次回は「その5 結婚そして料理 」です。**