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婚活妊活ビンボーは怖くない。その2
夢の新婚生活は11月から名古屋で始まりました。
結婚前は薬剤師として病院で働いていましたが、
結婚後は専業主婦が憧れでしたので慣れない家事を楽しんでいました。
名古屋のその冬は寒く、1月は毎日毎日20日間雪が降り続きました。
湯沸かし器がなく、毎晩食器を洗うたび、私が「冷たい、冷たい」と言いますので、
夫は、やかんに湯を沸かし、かけてくれました。
ストーブもないので、「寒い、寒い」と言いましたら
「待ってろ!」と言って外へ飛び出して行きました。
「お金がないのにどこへ行ったのかしら」と思って待っていましたら
石油ストーブを抱えて帰ってきました。なんとパチンコで取って来たのです。
(皆さんにはこの方法はおすすめ出来ません。
たいていの人はスッてしまいますから(-_-;)。夫は特別です)
《写真:長女・未来と初めてのお正月》
じきに私は妊娠しました。
25歳同士ですから、若い時は簡単に妊娠します。
夫はハネムーンベビーを期待していたようです。
赤ちゃんがいる楽しい家庭が夢だったそうです。
私が赤ちゃんのために毛糸でおくるみを編み始めますと、
夫は毛糸を一個ずつ買ってきてくれました。
一個は200円だったような記憶があります。
まとめて買うお金がないので、一個ずつでした。
当時の家計簿を見ると食料品以外は、
針とか糸、毛糸、テイッシュくらいしか記入がありません。
エンゲル係数は限りなく100%に近い生活でした。
夫は残業で1カ月100時間働いて毎晩帰りは2時でした。
当時は高度成長期でそれは当り前でした。
その深夜の帰宅は20年間続きました。
当時の収入は6万円、一般のサラリーマンより多い方でしたが、
家賃2万円、夫のこずかい(飲み代含む)2万円でしたので、生活費は1カ月2万円。
月の半ばになると1000円しか残らない時もあり、どうして食べていたか記憶にありません。
そして長女の未来が生まれました。
夫はとても可愛がり、日曜日になると近くの公園に乳母車で出かけ、時々は
「子供を見てるから買い物に行ったら」と言ってくれ、
私はハンドバッグを抱えて出かけました。
気がつくと財布にはいくらも入っていないので
「何を買おうかしら」とおかしく思ったこともあります。
ハンドバックも、結婚前に母が買ってくれたブランド品の黒のバッグでしたが、
古くなり黒色がはげて来たのを夫がマジックで塗ってくれました。
この後は次回のお楽しみ。