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婚活妊活ビンボーは怖くない。その12
*夫の父も二男坊
私がビンボー生活は当たり前、
と思ったのは夫の父も影響しています。
夫の父は栃木県の村長の二男。
村長だった祖父は銅像もあるくらいですから、
人望もあり、村に尽くした人だったでしょう。
しかし義父は長男ではないので、家は継ぐことはできず、
東京に出てきて早稲田実業学校に入り、そこの給仕をしながら苦学したそうです。
沖電気工業に入社、そして結婚。
4人の子供全員を、サラリーマンをしながら大学に行かせてくれました。
ボーナスはすべて学費に回ってしまいました。
夫の母は教育が大事、と一生懸命子供たちを教育し、よい学校にあげてくれました。
結婚に関しても、のんびりしていた夫に、
大事な娘さんを待たせては駄目だ、とお金がなくてしぶっていた夫の尻を叩き、
結婚させてくれました。
お金がないのは、よくわかっていて夫の母は
「新婚旅行のお金あるの?」と心配してくれましたが、
ないからといって親が出す事はありませんでした。
当時はどこの親もそうだったと思います。
最近の人は新婚旅行に行かない人もいます。
私の経験では生活費を考えない内に行ってきた方がいいと思います。
なんと言っても、人生で一番楽しい思い出が出来ますから(^-^)/
写真『夫の両親と。娘たちはお揃いの洋服を着て。』
義父は数年後、がんで亡くなる時も泰然自若としていて、
不安な気持ちや苦しい様子を見せず、
私は人が亡くなる時にこんなに静かな気持ちで亡くなることが出来るのか、と思いました。
もう危ない、という知らせで、私の父が静岡から出てきて病室に見舞いに行った時にも
「やあ!退院したら一緒にゴルフをやりましょう!」
と言ったので、私の父はびっくりしていました。
自分で勝手に退院計画を建て、
「30日になったら退院だよ」などと言って楽しみにしているので
家族は不思議がっていました。
こんな誠実で、一生懸命家族のために働き、生きてきた義父を見ていて、
私は彼も義父のように誠実な結婚生活を作っていくだろう、と思い、
結婚してお金がない生活が続いても不安は全く感じませんでした。
次回をお楽しみに!