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婚活妊活ビンボーは怖くない。その4
さて、2人目は、女の子で逆子で生まれました。
頭から先にでるのがフツーですが
お尻から、ガボッと生まれました。
逆子と言うのは難産が多いのですが、
若かったせいか、楽に生まれました。
《写真:3人で》そして、駆けつけた夫に小さな声で
「お金持ってきた?」 と聞きましたら、
夫はなんと
「お前がいないから飲んでしまった」と言うのです。
全部、お酒に変わってしまったのです!
仕方がないので、親から借りました。
しかし困ったことに、私の生活費もありません。
テイッシュペーパーを買うお金もないので
親に言いましたら、3000円くれました。
結婚後の私の人生で、親からもらったお金はこの「3000円」だけです。
結婚してから、何かと親からもらう人もあるようですが、
これ以後は一切もらわないよう、頑張ってきました。
この子が2カ月になった時、
夫の母が、赤ちゃんの顔を見に我が家に訪ねてきました。
お茶菓子を買おうと思い、財布を見ましたら、300円しかありません。
家中で300円です。
スーパーで、夏ミカンがひと山400円で売っていたのを思い出し、
買いたいなあ、と思いましたが、100円足りません。
結局、義母はお茶を5杯も6杯も飲んで帰っていきました。
遠いところをわざわざ来てくれた義母に申し訳ない、
と今でも思い出すと心がうずきます。
次回は今も30年前も変わらない「保活」の話
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婚活妊活ビンボーは怖くない。その3
長女の未来は元気過ぎるくらい元気で、
1歳になった時私は悟りました。
子供と言うのは親が好きなように育つものでない。
持って生まれたものがある。
それを手助けするのが親のつとめではないか、と。
のんびり子育てを楽しもうと思っていたのですが、
とても子供は手に負えない。
仕事を始めよう。
早く子供を産んでしまおう、と思い、
春に生まれるよう、計画的に二人目を作りました。
出産費用の事は何とかなるだろうと何も考えませんでした。
そして臨月になり実家に帰って生む準備をし、
夫に「出産費用ある?」と聞きましたら、
「今はないけど、大丈夫、
お前が実家に帰っている間は食費が浮くから
その分を持っていくから心配しなくてもいいよ」
私はその言葉を信じて産みに実家に帰りました。
《写真:嬉しそうに離乳食を食べる娘・未来》
しかし後で考えたらおかしな話です。
1か月分の私の食べる分なんて知れています。
そのお金で出産費用が賄えるなんてことはありません。
しかし「右向け右」と言われれば右を向いたきり、
という私の性格で深く考えもしないでお産をしました。
二女を産んで病院に駆け付けた夫に開口一番
「お金、持ってきた?」と小さな声で聞きました。
夫は何と言ったと思いますか?
この後は次回のお楽しみ。(^-^)/
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婚活妊活ビンボーは怖くない。その2
夢の新婚生活は11月から名古屋で始まりました。
結婚前は薬剤師として病院で働いていましたが、
結婚後は専業主婦が憧れでしたので慣れない家事を楽しんでいました。
名古屋のその冬は寒く、1月は毎日毎日20日間雪が降り続きました。
湯沸かし器がなく、毎晩食器を洗うたび、私が「冷たい、冷たい」と言いますので、
夫は、やかんに湯を沸かし、かけてくれました。
ストーブもないので、「寒い、寒い」と言いましたら
「待ってろ!」と言って外へ飛び出して行きました。
「お金がないのにどこへ行ったのかしら」と思って待っていましたら
石油ストーブを抱えて帰ってきました。なんとパチンコで取って来たのです。
(皆さんにはこの方法はおすすめ出来ません。
たいていの人はスッてしまいますから(-_-;)。夫は特別です)
《写真:長女・未来と初めてのお正月》
じきに私は妊娠しました。
25歳同士ですから、若い時は簡単に妊娠します。
夫はハネムーンベビーを期待していたようです。
赤ちゃんがいる楽しい家庭が夢だったそうです。
私が赤ちゃんのために毛糸でおくるみを編み始めますと、
夫は毛糸を一個ずつ買ってきてくれました。
一個は200円だったような記憶があります。
まとめて買うお金がないので、一個ずつでした。
当時の家計簿を見ると食料品以外は、
針とか糸、毛糸、テイッシュくらいしか記入がありません。
エンゲル係数は限りなく100%に近い生活でした。
夫は残業で1カ月100時間働いて毎晩帰りは2時でした。
当時は高度成長期でそれは当り前でした。
その深夜の帰宅は20年間続きました。
当時の収入は6万円、一般のサラリーマンより多い方でしたが、
家賃2万円、夫のこずかい(飲み代含む)2万円でしたので、生活費は1カ月2万円。
月の半ばになると1000円しか残らない時もあり、どうして食べていたか記憶にありません。
そして長女の未来が生まれました。
夫はとても可愛がり、日曜日になると近くの公園に乳母車で出かけ、時々は
「子供を見てるから買い物に行ったら」と言ってくれ、
私はハンドバッグを抱えて出かけました。
気がつくと財布にはいくらも入っていないので
「何を買おうかしら」とおかしく思ったこともあります。
ハンドバックも、結婚前に母が買ってくれたブランド品の黒のバッグでしたが、
古くなり黒色がはげて来たのを夫がマジックで塗ってくれました。
この後は次回のお楽しみ。
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婚活妊活ビンボーは怖くない。その1
結婚が今はとても遅くなってきています。
仕事も面白いし、もう少しやりたい。
お金が出来たら結婚しよう、と男性も女性も思って遅くなっています。
お金はいくつになっても満足するような貯金はできません。
遅いのは構いませんが、一番困るのは赤ちゃんが出来なくなることです。
でもビンボーはいや!と思うあなたに、
植松光子の愉快なビンボー物語を数回に分けてお話しましょう。
結婚した時、私が持って行った持参金?は2年働いた退職金の5万円だけ。
夫は飲み屋のツケだけ。ここからビンボー生活は始まりました。
その5万円は生活用品であっという間になくなりました。
そもそも、楽しかった新婚旅行から新居のアパートにたどり着いた時、
寝る布団がなかったのです。
・・新婚旅行は楽しかったなあー♪。
(最近新婚旅行に行かないカップルが増えていますが
是非おすすめします。生活の垢が付かないうちの新鮮なうちに )
私は静岡出身。
静岡では、布団は男性が持ってくる物、と決まっていました。
夫は東京出身。東京では布団は女性がもってくるもの、と決まっていたそうです。
母が聞いた方がいいんじゃない?と言っていたのですが、
「フトン」などと言う言葉を発するのは恥ずかしくて言えなかった私が
そのままにしていた結果です。
布団を買う余裕はなかったので、
昔母がやっていた布団作りを思い出してやって見ました。
夫が会社の寮で使っていた、汚いせんべい布団のかわをまずほどき、
洗濯機で洗いましたら、洗濯水は真っ黒 3回洗ってやっときれいになりました。
中の綿は布団屋に持って行って打ち直し。
打ち直しなんて言葉、知っていますか?
真綿を布団の幅より大きめに広げてその中に打ち直した綿をいれ、
洗ってきれいになった布団のかわでつつみ、気持ちのよい、ふかふかの布団が出来ました。
お金がなくてもやって見れば出来ることはいっぱいあります。
教訓1「ビンボーはハングリー精神を育てる。知恵を絞って生活するのは楽しい」
《写真:結婚式が終わり、やっと二人になれ、喜びにあふれた表情です。》