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母は強し。私の奮闘記
東京都が「育休」という言葉を「育業」という名前に変えたそうです。
喜ばしいことです。
育児の大変さを認めた、ということでしょう。
そこで、50年前の私の働きながらの育児を思い出しました。
生後2か月の二女を市の育児ママさんに預け、2歳直前の長女を職場に連れて行ったのです。
近くの薬局から、薬剤師がやめたのでどうしても来てほしいという話がありました。
躊躇しましたが、経済的にも余裕がなかったので、夫は反対しましたが行くことにしました。
生後2か月の二女を、市が管理する個人の家庭ママさんに預け、保育園に入れない2歳前の長女は連れていくことになりました。
二女はまだ首が座らないので、両手で抱いて歩いて預けに行きました。
雨の日は両手が使えないので、傘を頬で支え、長女は私のスカートにつかまらせて通いました。
しかし、そこから職場まで歩いて1時間。子供は転び始めます。
自転車が欲しいと思いましたが、当時も自転車は1万円。
我が家にはとてもそんな大金はありませんでした。そこで恥を忍んで初任給の前借。
やっと自転車が買え、それからは長女とおしゃべりしながら楽しい通勤となりました。
しかし二歳児を連れての職場での仕事は容易ではありません。
「お手伝いする」とビンなどを運んでくれたり、化粧品の説明をしている最中「おしっこ」といわれて、慌てて連れて行ったり。
薬局で調剤室の中にベッドを作ってくださり寝かしつけても、寝るのは30分位だけ。
とても仕事にならず、知り合いのつてで市の福祉部長さんに直接面会して、保育園に入れるよう頼むことにしました。
約束の当日、市の会議室で二人を連れてお待ちしていました。
1時間も待たされ飽きてしまった二人。
赤ん坊はダーダーと言いながら、長い会議室用の机の上の灰皿を全部落としながら這いずっていました。
長女はダダダダーと言いながら、部屋中を走り回っていました。
そこに入ってきた部長さん
「ハアーッ! このお子さんを連れて行っているのですか!」と絶句しました。
男性には考えられない情景でしょう。
そのおかげかわかりませんが、4月に新しくできた山の上の保育園に入れることになりました。
でも道も出来てなく、田んぼのあぜ道を太ってコロコロした二女を背負って自転車で通い、轍を泥にとられ難儀をしながら通いました。
しかし、子供を保育園に預け安心して仕事に没頭できることは何よりです。
ここから私の長い薬剤師人生が始まり、今の自分があるのですから。
50年経ち、育休ができ、育業と名前を改め育児の大変さが世の中にやっと認められたかたと思うと感慨無量です。
これからの女性には子育てを楽しみながら、自分のしたい仕事を思う存分やっていってほしいと思います。